2010年10月2日土曜日

忠孝の精神が日本人の根本精神

このブログ[山田家のスピリット]とした。スピリットとは、精神とか、魂とか、心意気とか、根本精神というもののように思う。そこで、わが先祖「山田次郎重忠」に学ぶ根本精神、スピリットは「忠孝」の精神かと、この日本人の美徳をもう一度復興し取り戻すことが、の本再生の第一歩であると思う。
沙石集によると山田次郎重忠は[心優しい侍]とある。その母の菩提を弔うために建てた寺がいまの「長母寺]
その、「長母寺」の中興が「無住国師」である。
心優しく母の為に寺まで建てたと言うと、親孝行だが、軟弱な人物かと思う向きもあろうが、「承久の変」で見せた、豪快で勇猛果敢な姿は、さすが武士、忠義に篤く武勇に優れる[侍]の見本たる人物であった。圧倒的な武力で立ち向かってきた関東武士団に、ひるむことなく、勇猛に戦った誇り高き侍であった。
悲しいかな時運は官軍方、後鳥羽院方に無かったのか、無残な最期を遂げるが、不利な情勢の中でも逃げることなく、最後まで戦ったことは、侍の鏡とする内容であろう。
この時の闘いがあればこそ、後醍醐天皇の時代に、[建武の新政]があり、南北朝に分かれたといえども、天皇家が明治の時代もで存続し、明治の親政を作り出していったのである。太平洋戦争で負けたとはいえ、国家体制は維持され、今日の日本があることを考えると、決して無駄な死ではなかったと思い知る。
今世界は、全地球規模での、平和と、真の豊かさ、自由の世界を求めている。そのことのために日本人の特性であり、美徳である「忠孝」の精神を発揮する時であろう!
「忠孝」とは言葉を変えれば、良き家庭人であると同時に善き世界人となる。ということであろう。
親への感謝、家族への深い思いやりの心、その心を地域や世界にまで拡大することが、「忠孝」の真実の意味である。
[忠孝」とは決して強制されるものではない。強制された「忠孝」とは、すでに本当の「忠孝」ではなくなっている。
自然な心で、親を愛し、先祖を愛し、地域や仲間たち、そして全人類にまでその愛する心を拡大出るのが真実の「忠孝」である。
身近に聞く「忠孝」の人物の伝に、その心の奥深いところを感じる。
このブログ、そんなところをこれから書いてい行きたいと思うので、皆さんの応援頼みます。

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