2011年5月19日木曜日

臆病に生きても仕方がない

放射能に当たって死ぬんじゃないか
今そんな不安で右往左往している

また地震が来て津波が来て、家も土地も失うのではないか

現地の人たちよりも、周りの人、遠隔地の人が感じている

廃墟の中でもたくましく生きている人がいる

倒産し、失業に追い込まれ、自殺するしか道のないような中でも
たくましく生きている人がいる

人生は希望
困難を乗り越え、たくましく生きていこうとする人々を応援しよう
その人生をせめて邪魔しないようにしよう

言い知れない不安を抱えている人たちの、心の不安を取り除くことが第1

人間が最後に行き着くところ それは感性

人間が人生の最後に残すことのできるもの
それは[感性]
人を愛し、愛された
そして喜んだ 
その感性だけが、最後に残るもの
その感性を以下に残すことができるか
より多くの愛を与え
より多くの愛を受け
そこで感じた平安と喜びの世界
それだけが人生の結末として
あの世にも持っていける

より多くの感性を育てることのでいる人生を生きよう!

2011年5月16日月曜日

古代地名語から見た「山田」

「はたして秦氏か」と言う本を書いた佐藤光範さんと言う方がおられる
磐座や地名の研究を独自にされて何冊かの本を出版されている
先日おあいしていろいろうかがうことができた

この方の地名考察は独自のもので参考になる
その「はたして秦氏か」の書の中で
山田の地名について以下のごとく記述しておられる

ヤマダも[ヤの発音は冶金する。マは銅言葉。タも金属の取れるところ]で山田は銅の取れていた地名になる。

確かに全国各地に[山田]の地名は多い。こちら吉備の児島にも山田の地名が残っている。
わが先祖山田家は、尾張の山田郷の地頭をしていたと言うが、
山田等言うのが単に[山の田んぼ]と言うのではないと思っていたが、この池田氏の考察によると[山田]は銅産にかかわる地名ということになる。児島の山田もそうである。岡山市内にも山田というところがある。かって銅の取れたところと言うのは当たっているように感じる。

山田姓のルーツを探る上で参考にしたい。

2011年5月11日水曜日

心癒される両陛下の慰問のお姿

国民と苦楽をともにされようと慰問される天皇皇后両陛下のお姿に心癒され感動!
両陛下のその心のごとくに復興がなされるよう願います。

住民無視の強制避難 一時帰宅の住民の気持ち

原発事故で避難している住民の一時帰宅が行われた。
この住民に「誓約書」を書かせて住民の怒りを買ったことが報道されている。
それになぜ2時間しか帰宅できないのか。
つもる住民の気持ちがまったく無視されたような今回の一時帰宅

そもそもなぜ強制的に避難させられているのか、住民たちも納得できないでいる。
20キロと言う線を引いて立ち入り禁止と言う、科学的根拠は何も示されていない。

原発事故がレベル7に引き上げられて、恐怖が先走り、・・・
何か罠にはめられているような気持ちにさえなる。
ほんとうにこれは日本をつぶすための策略にはまっているのでは・・・

目覚めよと言いたい!
政府も、メディアも、国民も

壊れた原発の停止に向けての作業は慎重かつ的確に進めていかなければならないのは当然である。
ただそれが周辺住民の強制避難を続けさせる必要があるのか、一時帰宅さえ厳戒態勢で2時間に限定する根拠がどこにあるのか。
冷静になってその根拠を科学的に明らかにして対処すべきであろう。

浜岡原発の停止も含め、国民全体の生活基盤、経済基盤が脅かされている。大震災から立ち上がる日本の力をそいでいる。
結局付けを国民が払わされるのである。

2011年5月10日火曜日

愚かさからの脱却

人類歴史は愚かさの歴史といってもいい。
今の世の中、愚かさが幅を効かせている。
大震災、乗り越えるには知恵が必要である。そして努力。
こんな危急のときに、愚かな対応をすれば、犠牲がそれだけ拡大する。

地震津波の被災地では、多くの人たちが必死で廃墟の中から立ち上がって復興の努力をしている。

原発事故の現場はどうか?
ちぐはぐな政府と東電の対処に、多くの住民が避難所生活の悲惨さを味わっている。

海外では無用な不安が拡大して日本製品のボイコットや無用な買占めが起こっている。
いい加減愚かさから脱却をしなければ。

少年日本史に見る山田次郎重忠

手元に昭和45年に皇学館大学の平泉澄教授が書いた[少年日本史」(昭和49年再版)がある。
その中から、山田次郎重忠に関する記述の部分を書き出してみよう。

少年日本史390頁、有名な二位の尼、政子の関東の将氏に語った部分です。

「一同のもの、よくよく承れ。汝ら、今日の収入と言い。冠位と言い、すべて頼朝公のおかげではないか。そのご恩は、山よりも高く、海よりも深いであろう。それを忘れて、京へ参り、官軍に着くか。それとも頼朝公の御恩を考えて、鎌倉方としてご奉公するか、態度をはっきり決めて、ただ今ここで申し切れ。」
 この言葉に感激した関東武士たちは、早速軍勢を整え出発しました。これにひきかえ官軍は行動が敏速でなく、関東の軍が遠江に入ってようやく教を出発したので、両軍の決戦は木曽川において行われることになりました。
 官軍は木曽川を固めました。関東の兵は、東海・東山両道の軍ひとつになって、木曽川に迫ります。官軍の守りは、大井戸の渡より崩れ、賊軍は木曽川の右岸に出ました。下流を守っていた官軍は、腹背ともに攻撃を受ける形となり、あわてて陣を捨て、京へ退きます。しかしその中に鏡右衛門尉久綱、自分の名を墨黒々と大きく旗に記して川岸に立て、勇敢に戦って討ち死にしたのも、目覚ましく、ことに味方の総崩れに崩れ去ったのを尻目にかけて踏みとどまった山田次郎重忠の豪胆に至っては、 千載の後にも、人の心を激発するものがあります。重忠はわずか九十騎で、川のはたに馬を控え、敵を待っていました。賊軍幾万、向こうの岸へ現れ、之を見て、疑いを持ちました。
それなるは、敵か?味方か?
味方だ。
味方では、どなたですか?
本当は敵だ。
敵ではどなた?
尾張の国の住人山田次郎重忠ですわい。
賊軍からかわれて腹を立て、大軍一度に川を渡って攻めかかる。それを川岸からさんざんに射取り、あがってくる者は切り棄てる。やがて、重忠、兵をまとめて引き上げました。

第二の戦線としては、勢多、宇治が当然選ばれました。山田次郎重忠は勢多を守り、傘をさして兵を指揮しました。・・・・ここの守りは堅かったが、戦いは宇治の手から破れました。恐るべき大雷雨によって一丈三尺ばかりの増水に、溺死も多かったが、それに屈せず賊軍宇治川を渡るに及んで、勝敗は決しました。官軍一方の大将藤原朝俊、潔く討ち死にすれば、山田重忠も三浦胤義も、奮戦して倒れました。・・・・

以上少年日本史から抜粋しました。
平泉澄先生の「少年日本史」は、その後「物語日本史」 (上、中、下卷)の題で講談社学術文庫から出版されています。

2011年5月9日月曜日

心優しく誠実に生きていこう

幸せを作るもとは何か?
誠実さと心の優しさであろう。
長い伝統文化の中で、この二つが幸福への近道であった。
時として、時の権力や、時代の方向性が間違って戦争や差別や迫害や、さまざまな困難が襲うこともあったが、最後に残るのは誠実さと心の優しさである。
押し付けがましい幸福論は無用、迷惑なものである。
時として為政者は押し付けがましい幸福論をといてかえって民衆を不幸に陥れることがある。

為政者にこそもっとも必要な美徳が誠実さと心優しさであろう。それがなければ政治を行う四角がないといっても過言ではない。

原発事故 いつまで避難を続けさせるのか

原発からの非難が続いている。
かの地域はかって私も仕事で行き来したことのある地域で、実にのどかな地域である。
その地域の住民が今も遠く離れた地域での避難所生活を強いられている。
その苦しみはいかばかりか、創造に絶する。

今も、いつまでもそのまま避難させていることは必要なのか?どうも納得できない。
一時帰宅した人たちについて放射能の数値を見てもほとんど問題のない数字である。
私が無知なのかもしれないが、今もいつまでも非難している意味がよく分からない。
誰か納得がいくように説明してくれればいいのだが。

原発の放射の軒権より長引く避難生活のストレスで体調を崩す人も多いと聞く。それが原因で病気になる老人も多いと聞く。
原発の危険性ばかりが大きくとりあげっれて現実に避難を強いられている人たちの苦痛を取り除こうとは誰も考えていないようにさえ思える。
保証金でことがすむ問題ではない。

2011年5月8日日曜日

国難を乗り越えるには知恵が必要

無用な混乱が続いている
原発事故への対応は、未来に禍根を残すような規模で不安感だけが世論を支配しているように思える。

知恵が必要である。知恵がなければ無用な混乱を国民全体がこうむることになる。

現実に即した知恵が必要である。
大地震と大津波の被災地では住民の多くが自分たちの知恵を絞って復興の道を探っている。一番知恵を働かせているのは現地の人たちである。
机上の空論と言うのがあるが、そんな空論がまかり通っているのが現実である。これでは被災者や国民はいい迷惑である。

まじめにみんなで考えよう。

2011年5月6日金曜日

今声を大にして訴えざるを得ない

ほんとうにストレスを感じる今日この頃
避難生活に疲れた人々をどうしたら癒して上げられるだろうか。
直接ボランティアにいくてもあるが、そこまでは自信がない。
ここに居てしてあげられることは何か。
行くべき道を示してあげなければならない。
日本全体が行くべき道を見つけなければならない。

今一番苦しいのは原発で非難し散る人たちであろう。
家に居れば復興のためにすることがある。
働けないことがどれほど苦痛か。
その苦痛を、日本の指導者はどれほど分かっているのか。
早く故郷に帰って働けるようにしてあげたい。働けないことは死ぬより苦痛であろう。

2011年5月4日水曜日

今こそ民の煩いを知っての政治を

毎日のニュースを聞いてがっかりすることが多い。
大震災に見舞われた被災地の人たちは必死で復興の道を歩んでいこうとしている。これにはほんとうに感動する。そして多くの人たちがボランティアで駆けつけて支援して行っている。
羅にしてほしい
しかし政治のありかた、特に福島原発の対するあり方にはほんとうにはらわたが煮えくりかえるようである。みんな責任逃れに終始しているようにしか思えない。本当に現地の人たちのことを考えているのだろうか?責任逃れのための避難命令やパフォーマンスのように受け止められる。

復興予算をどうするか?そのための増税?そんな論議はあとからにしてほしい。
まず、今現実に被災地の人々が何を望んでいるのか?どうして行きたいのか、それを何より大切にして、それを最大限援助するのが政治の果たす役割ではないのか?国民みんなで復興を応援する。それをサポートするのが政治の役割ではないか。国が先にたってする復興kなどは必要ない。そのための資金源をどうするかはそのあと考えることである。