2010年12月16日木曜日

和気清麻呂と山田次郎重忠

和気清麻呂と言えば平安京を造営した人物として、また弓削道鏡事件の時、宇佐八幡の神勅を奏上して皇統を守った人物として有名であるが、山田次郎重忠とどのような関連性があるのだろうか?

私は、その精神において極めて共通する部分を多く感じる。
山田次郎重忠は「心優しく民の煩いを知る侍」だったが、その民を思う心の優しさや忠君の精神が極めてよく似ている。
そしてその宗教性である。山田次郎重忠は、その生涯、その母のために建てたという「長母寺」を始め多くの寺院を建てている。
一方和気清麻呂と言えば、平安仏教と言われた、比叡山と高野山、最澄や空海を取り立てて庇護した人物として有名である。故郷の備前和気郷にも、多くの寺院の建立の記録が残っている。

私はその精神性のルーツがどこかでつながっているように思う。
私はその精神性のルーツが「秦氏」と何らかのかかわりあるのではと思っているが、まだ確証は得ていない。
私の書いている別のブログ、[吉備楽土]や「日本と宗教」にも書いているのでよかったら参照してみてほしい。