2011年3月18日金曜日

物流の回復が被災地復旧の第1 東北道を早く開通させよ!

さて被災者被災地の救援について思わされることがあります。
今なお被災地の皆さんは本当に大変な生活を強いられています。
それらの方々のところに早急に物資を供給しなければなりません。
そのためにも、なぜいまだに東北道を緊急輸送に限定して閉鎖しているのか?これは完全にマイナスです!
東北全体に物資が不足しています。この状態を解消するには物流ルートを正常化しなければなりません。ようやく燃料の供給には対策が取られたが、その他の物資は全体に不足しています。
甚大な津波被害を受けた地域は別にして、物流さえ回復すれば正常な活動に戻れる地域は早急に正常な機能を回復していくべきです。
日本の流通体制は実に高度にできています。コンビニなどは少量多品種の物資を配送する体制が整っています。宅配業は大半、翌日には必要なものを宅配できる体制が整っています。
どうしても緊急なものは自衛隊に託して空輸すればいいが、そのほかの生活物資は一般流通ルートを早急に回復して必要なものを必要なだけ現地に届ける体制を作るべきです。幸い、被災地家の最低限のルートは確保されてきているので、民間流通業のルートを最大限活用すれば、すぐにでも末端にまで必要なものを届ける体制が出来ます。
甚大な被害を受けた地域にはコンビニかスーパーの臨時店舗でも作ってなんでも入手できるようにしたらどうだろう。いくらでも方法が出てくる。
支援物資も、日常生活用品は民間の通常ルートを強化するほうがはるかに早く必要な物資を届けることができる。個人個人てんで勝手にする支援は膨大な労力をかけるだけで却って復興の妨げになる。
東北道を早く開通させるのは、この間滞っている東北の産品を全国に送る体制の復活にもなる。そしてまずは東北の縦貫ルートを正常化するべきである。それが被災地特に三陸方面への最大の救援体制になる。
即刻東北道を全通させるべきです。燃料供給のめどが立ちつつある今それを急ぐべきです。痛切に思っています。

2011年3月13日日曜日

1億2千万国民がひとつとなって苦難を乗り越えよう!

今こそ全国民がひとつになるとき
宗教も、理念も、主義主張も超えて全国民が一つになって、戦後日本最大の苦難と国難を乗り越えていこう!
1億2千万全国民が痛みを分け合って、助け合い、「和の精神」で乗り越えよう!
日本国民はこのように困難を乗り越えたという真価を発揮しよう!

2011年3月12日土曜日

大地震の被害者に

凄惨な、被害の状況が時々刻々伝えられています。
一瞬にして、生活の基盤も何もかも失った人たちの方を思うと、本当に胸が痛みます。
とてつもなく多くの犠牲者の方々が・・・・
こういうときこそ全国民がひとつになって、悲劇を乗り越えていかなければと思う。
政界も無駄な争いをやめてたひたすら被災者の救援に当たるべきであろう。
家族を失い、家も生活の基盤も失った人々が、立ち上がるには膨大な力を必要とするでしょう。
国民みなが、自分の利害を捨てて、被災者の悲劇を自分のものとして、支援していくことが求められていると思う。
今こそ日本人の良心が発揮されるときではないのか。

2011年3月4日金曜日

先祖の墓に行ってきました 旧真備町岡田 横溝正史疎開の家 岡田廃寺など

先日旧真備町で集まりがあり、その帰り道真備町岡田にある、先祖の墓に参ってきました。
わが山田家の先祖山田次郎重忠は、鎌倉時代、尾張の山田庄の地頭であったが、承久の変の折後鳥羽上皇方につき獅子奮迅の戦いにもかかわらず、無念な最期を遂げその孫が後を継いだとある。
さて、その後戦国時代、織田信長と墨俣で戦い敗れたのち、備中に逃れ住んだのが山田家のルーツと聞いている。何年か前に本家を訪ね、墓参させてもらった。その後本家の一家は事情があり転居、その後音信がないので、気になっていた。
墓の位置は知っていたので、訪ねたが曽祖父の墓標がどうしても見つからない。一族全体の墓地なので、すべての先祖に参りる心で参拝して帰る。
帰り道、すぐ近くが「横溝正史」の疎開していた家があり、訪ねる。

江戸期の地理学者「古川古松軒」もこの地の出身で、その遺跡が残っている。
さらに進むと「岡田廃寺」の案内、案内板に従って行ってみるがよくわからない地元の婦人に聞いたら親切に教えてくれた。椋の巨木があるという。
教えてもらった通りに行くと「あった あった」
少し小高くなった丘の上に椋の木がたたずまい社があった。


ここは白鳳末期の創建で吉備真備の一族が建てたと言われている。この地域の歴史と文化を象徴する遺跡の一つである。

山田家の先祖がはるか尾張からこの地にたどりつき、代をついて今の自分があることを思うと感慨深い。吉備王国の時代から深い意味のあるこの地域である。
同好の仲間と歴史探訪会を組織ているが、一度また仲間と尋ねてみたいところである。