2012年4月17日火曜日

佐渡さんも・・・

昨年9月にWikipediaから引用した。山田家のルーツ満政流について


満政の子孫は長男・忠重の系統が美濃から尾張、三河方面にかけて進出し、嫡流の八島氏からは浦野氏、山田氏、高田氏、水野氏、足助氏、小河氏、小島氏、佐渡氏、木田氏、山本氏など多くの氏族が輩出されたほか、次男・忠隆の系統は主に近江国を地盤として善積氏や雨谷氏、和田氏などを称した。また、三男・忠国は摂津国との関係が記録に残っている。(Wikipediaより)


佐渡さん・・・今最も脚光を浴びている指揮者の佐渡さんも・・・佐渡一族が満政流だとすると・・・
音楽好きの私としては少し嬉しくなりました。
他にも知り合いの人の中に同族の姓がいくつも・・・
思い当たる人には「同族ですね」と声をおかけしていますが・・・
このページをたまたま目にされた方も同族でしたら・・よろしく!



2012年3月28日水曜日

承久の変後の山田家?

応急の変で無念の最後を遂げた山田次郎重忠・・・・その後の山田家はどうなったのか?
私が聞いているのは、その後戦国時代、墨俣で今度は織田信長に敗れ、備中に逃れ、そこから今まで血統がつながったと言うこと・・・その間の山田家の動向が知りたい。
家系図は本家に残っていて一度本家の当主に見せてもらった。その時おおよそは書き写させてもらったのだが・・・・
承久の変の後、山田家がどのような運命をたどったのか、そのあたりを知っている人いないだろうか?
同族の方、あるいはその時代の研究をしている方、そのような資料をご存知の方あったらぜひ教えていただきたい。
吉備の山田までご連絡ください。

2012年3月25日日曜日

無念な最後であればこそ・・

承久の変でもっとも勇猛に闘ったのがわが先祖山田次郎重忠である。[腰抜け]でちょっと判断ミスの後鳥羽院であったが・・・。最近読んだ歴史の本で、後鳥羽上皇は結構優秀だった。承久の変さえ起こさなかったら・・・」という一文があった。鎌倉幕府追討の命を発していながら、最後に責任逃れをしたのはどうもいただけないが、それでも当時の朝廷では、勇猛な性格を持った上皇であったらしい。
それはそうと・・・おかげでわが山田家はひどいめにあたった。一族は領地を没収され、佐渡にも流された。その後の経過はわからないのだが・・・・その後戦国の時代、織田信長と墨俣の戦い、破れて備中に落武者として来たのがわが先祖と聞かされた。
まあ、酷いもので・・・このとき官軍方についていなければ、ずっと尾張の地頭でしたから、もっと有名になっていたかもしれない。それは解りませんが・・・・
惟、官軍方について勇敢に戦ったという記録は、戦いに負け、号令を発した院からも見捨てられ、悲憤慷慨して自決した次郎重忠の心は生きていると思う。[心優しき侍]との評を沙石抄に残しているのも誇りである。
歴史上無念の生涯を終えた人物は数知れない。特に宗教家には多い。楠正成など忠君の士もそうである。惟それは、そのときは無念であるが、その歴史はその後の歴史に輝かしい道を開いてきた。
公家の政治から武士の政治に・・・開いてきたのは最初は平清盛だが、この承久の変を境に完全に武士が実験を握り、京都には六波羅探題が置かれた。そして武士の時代は明治維新まで続いた。

まあ、ここで一番言いたいのは・・・殉難者が殉難だけで終わってはいない。それは一見ただの犠牲のようだが[、実はそうではない。困難や殉難を経て開かれた文化がある。生き様があると言うことを言いたい。それをこれから書いていこうと思う。

今日はこのあたりで・・・

2012年1月1日日曜日

謹賀新年

山田家も新年を迎えました 益々、政治も経済も社会情勢も混迷を深めて迎えた平成24年 打開の糸口は・・・? 山田家のスピリットの中にそれがあると思います。 東日本大震災に示された天皇陛下はじめ皇室の方々の暖かい思いやりの心としぐさ それに引き換え、責任逃れと保身に右往左往する政治家や責任者たちのの醜い姿 問題は政経界に「心」ある人間がいないこと。 松下電器、今のパナソニックを創業した松下幸之助氏が創設した「松下政経塾」と言うのがあったがあれはどうなったのだろうか? 確か野田総理もその第一期生だったように思うが・・・ 今年も「山田家の心」を発信していきます。 それと、やけに気になるのが山田姓、テレビなどでも山田姓の方が登場するととても親近感を感じます。 同族かな?と・・・ 一般的に地域や社会で貢献している方が多く登場するけれど、今のこところあまり悪人は見ない。 今年も山田姓の方、頑張って生きていきましょう!

2011年9月14日水曜日

尾張山田家のルーツは清和源氏満政流

尾張山田家

尾張山田家のルーツは清和天皇の子貞純親王の子経基王(源経基)の次男源満政から始まる満政流である。
 満政の子孫は長男・忠重の系統が美濃から尾張、三河方面にかけて進出し、嫡流の八島氏からは浦野氏、山田氏、高田氏、水野氏、足助氏、小河氏、小島氏、佐渡氏、木田氏、山本氏など多くの氏族が輩出されたほか、次男・忠隆の系統は主に近江国を地盤として善積氏や雨谷氏、和田氏などを称した。また、三男・忠国は摂津国との関係が記録に残っている。(Wikipediaより)
我が家のルーツは尾張山田氏とだそうである。
先祖は承久の変で活躍した山田次郎重忠
その後、戦国の時代に織田信長と墨俣で戦い(秀吉と戦ったか?)で破れ、備中に逃れてきた。現在の倉敷市岡田・・・元真備町である。
その山田家に私の祖父が養子で入って分家したのが始まりと聞いている。
曽祖父はその血筋をずいぶん自慢していたと聞く。その曽祖父は馬に乗って村の役場に行っていたと叔母に聞いたことがある。結構気位も高くその家系の気風を引いていた人物だったらしい。
この旧真備町岡田の本家の近くには横溝正史の疎開していた家があり、横溝ファンがたくさん訪れている。地元の人たちがボランティアで案内や管理をしている。年に一度、全国から横溝ファンが金田一耕助の扮装で集まって来るそうだ。実は疎開当時の横溝正史がまさにかような格好で村を歩いていたらしい。
のどかな農村地帯である。
本家を訪ねて当主に家系図を見せてもらったが、やはり先祖は満政流で今に続いている。戦前忠君愛国がが賛美されていた時代は、学校の教科書でも忠孝の鏡とされる人物として、山田次郎重忠は教えられていたこともあり、家系に誇りを持つのは当然だったであろう。

2011年7月26日火曜日

日本人の美徳

中国の鉄道事故
日本では考えられない大事故で、昨日聞いたら事故車両を穴を掘って埋めているとか。考えられない。
中国のネットでも事故への批判がありその中で「日本に学べ」との声があると聞く。

日本人の美徳とは何か?かって3・11大震災のときにも秩序整然と行動する日本人に絶賛の声が上がった。
日本人は道徳性、倫理性において優れている。そう、海外では思われている。

日本はその美徳をどのようにはぐくんできたのか?そのような美徳をどのように継承し、どのように今後の世界のために生かしていくのか?それが問われているときだと思う。

2011年7月21日木曜日

欠けているのは理念と愛情そして歴史を見る目

今、日本の政治の無力と混乱
震災復興と叫び続けているが、実際には何もできていないに等しい政治の実情
原発事故は原子力に対するコントロール不能よりも、その後の国家全体へのコントロール能力の不足

今リーダーに求められるのは深い愛情と思いやりそして決断である。