応急の変で無念の最後を遂げた山田次郎重忠・・・・その後の山田家はどうなったのか?
私が聞いているのは、その後戦国時代、墨俣で今度は織田信長に敗れ、備中に逃れ、そこから今まで血統がつながったと言うこと・・・その間の山田家の動向が知りたい。
家系図は本家に残っていて一度本家の当主に見せてもらった。その時おおよそは書き写させてもらったのだが・・・・
承久の変の後、山田家がどのような運命をたどったのか、そのあたりを知っている人いないだろうか?
同族の方、あるいはその時代の研究をしている方、そのような資料をご存知の方あったらぜひ教えていただきたい。
吉備の山田までご連絡ください。
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