2010年6月13日日曜日

山田方谷先生とのつながり 尾張山田氏

岡山県と言えば、幕末の備中松山藩の藩政改革を成功させた山田方谷先生が有名だが、当初わが山田家とは関係がないと思っていた。しかしいろいろ家系図を調べて行くうち、同じ尾張山田氏の流れであることがわかった。
山田方谷先生の家系は清和源氏満政流、満政から5代目、山田重遠の3男に大和守重弘という人があり、この嫡男駿河守重英が、寿永3(1184)年に源範頼に従って中国地方へ転戦、その戦功によって備中国英賀郡(阿賀郡)28ヶ村を与えられて、文治3(1187)年に佐井田(才田)城主となっています。
http://gos.but.jp/houkoku.htm
清和源氏の家系は以下参照
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/seiwa_genji/genji_seiwa1.html
わが尾張山田氏は、重遠の子、重弘の兄弟、重直の孫が次郎重忠ですので、尾張山田氏から備中に下って、血統をつないできたのが山田方谷先生と言うことになり、同じ家系であることを確認しました。
また、重忠の先代、重満の兄弟が足助重長で、足助氏とも近い間柄になっています。
いずれにせよ、尾張山田氏は、尾張の守護として、全盛を誇っていた時代があり、そこから全国に散らばって行ったものと思われます。
全国の山田姓の、かなりの部分が尾張山田氏の流れをくむものと思われます。
ほかにも、わが家系は尾張山田氏だという方があれば、ぜひご紹介いただきたいとお思っています。
このブログに書き込んでいただくか
キビノコジマまでメールください。

0 件のコメント:

コメントを投稿