2010年7月8日木曜日

忠臣とは

わが山田重忠公は歴史に残る忠臣としてたたえられているが、日本史上、もっとも忠臣としてたたえられている代表的人物の一人が、後醍醐天皇に忠誠を尽くした楠木正成であろう。
じっさい、後醍醐天皇はかなりわがままな人物だったと伝えられるが、それでも、忠誠を尽くした、楠木正成は実に立派と言わざるを得ない。
楠木正成を祀る湊川神社が神戸市の元町にあるが、ここは黄門様で有名な水戸光圀公が佐々木介三郎に命じて、楠木正成の供養塔を整備したのが始まりという。
承久の乱に始まる、朝廷側の親政を求める戦いは、建武の新政を持って一時なるかと思われたが、その後の政治に失敗した。武家社会への対応がうまくいかず、結局南北朝時代を迎え、結局室町幕府に従う形で統一がなされなければならなくなった。
承久の乱の時の後鳥羽上皇も時局を見る目がなかったが、ある面おろかである。しかしそのような君に命がけで仕える忠臣の姿は、一面愚かに見えるが美しい。忠誠の心が美化されてきた。
もう一度わが民族の美徳である[忠」について考えてみよう。

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