ここは承久の変の後、北条泰時によって、後鳥羽上皇は隠岐に、皇子の冷泉院頼仁親王は吉備の児島の熊野社に流されます。
児島の熊野社は、役行者が冤罪で伊豆の大島に流された時、何が熊野権現に及ぶことを恐れて、五流の門弟たちが御神体とともに児島の地に降り立ち、新熊野三山として開基した。
承久の時、後鳥羽天皇の皇子桜井宮覚仁法親王が下向され、頼仁親王の子道乗大僧正を附弟として尊龍院を継ぐようになる。その道乗大僧正の後を継いだ頼宴大僧正の三男が後醍醐天皇に忠誠をつくした児島高徳である。
今は修験道の総本山となっている五流尊龍院には児島高生誕地の碑がある。
吉備の児島に訪問記を書いているのでご覧あれ。
わが山田家が児島にあるのは何かしら縁を感じているところである。
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